前回は、薬の副作用に話題がそれてしまったが、今回はクボタクリニックを離れた後のことについて、述べたいと思う。
ミツカングループ本社に勤務開始となったのは、1995年の11月だったが、10月に内示をもらっていたので、杉浦京子先生の協力を得て、愛知県のクリニックの紹介状を当時の主治医に書いてもらった。それで、11月に愛知県半田市にあるミツカングループの独身寮に入り勤務を開始し、休みの日にそのクリニックを紹介状を持って訪れてみた。そうしたら、そこはクリニックではなく、心理の先生がいて有料でカウンセリングを行うところであった。何かおかしいなと思ったのだが、時はすでに遅く、1996年の4月まで、精神科に通院せず、愛知県半田市での生活を送ることとなった。結局、群馬県の館林工場に配属となる1996年の5月にクボタクリニックの通院を再開したのだが、次回は愛知県半田市での生活を中心に述べていきたいと思う。
クボタクリニックについての思い出(3)
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幻聴について