注目キーワード
  1. 清澄白河
  2. 近況報告
  3. 人生

グリンピース新宿本店の思い出

 またまた、話が脱線するがグリンピース新宿本店での思い出について触れたい。

 私がグリンピース新宿本店に入り浸っていたのは、忘れもしない1990年2月頃からである。
 今やパチスロのグリンピースは首都圏繁華街に数多く展開し、カラオケ店も出しているパセラグループの一員となっているが、当時はパチスロのグリンピースは今のドン・キホーテの隣の一店舗だけであった。グリンピース新宿本店に入り浸るきっかけとなったのは、バイトの帰りに立ち寄って少しだが勝ったことがきっかけであった。
 私が当時打っていたのは、サミーからでていたアラジンという機種で、地下一階に設置してあった。閉店間際まで、アラジンを打っていたら、お客さんもうそろそろと言ってきた店員さんがいた。後で知ったのだが、岩崎さん(以降仮名)である。そして、そばに2人お客さんがいて、その日は2人と明日どの台がでるかという検討会をすることとなった。その2人は、手島さんという人と横山さんという人である。手島さんはリフォームの会社の社長さんで横山さんは学生であった。近くの中華料理屋か思い出横丁の店か忘れてしまったが、明日でそうな台の予想をし、カラオケに行った後、手島さんの車の中で仮眠をとり、翌朝グリンピース新宿本店に行き、地下1階のアラジンを打つお客さんの列に並んで開店と同時にアラジンの台を取りに行った。そして、アラジンの魅力に惹かれ、しばらく朝一でアラジンを打ちに新宿のグリンピースに通うこととなった。その過程で私は三原さんという人を紹介された。
 だが、その当時私は学生で一日に使えるお金は限られていた。なので、私はグリンピースの隣にあったてんとう虫というお店に行き、リバティベルを打っていた。てんとう虫にはホストの方などもいたが、お店を出るとグリンピースの店員であった岩崎さんから、また隣のお店に行っていたの。と言われ、そして最後に、じゃあね。と私によく言ってきた。その後、岩崎さんは下北沢の新店に配属となったのだが、今となっては消息はわからない。
 手島さんは、三原さんを私に紹介した後、井出洋介の雀荘に通っていたのだが、今はどうしているか知らない。私は横山さんとよくてんとう虫でパチスロを打っていたが、横山さんは当時グリンピースにあったアニマルという機種が好きみたいで、よくグリンピースに戻っていた。当時のグリンピースはヤクルトの自販機があり、一日2回ほどヤクルトを配っていた。その他に、パチスロを打っていると岩崎さんのDJで今日はどこの台が出ているなどの実況を聞くことが出来た。
 結局、私は1991年の1月に通うのをやめてしまったのだが、今でもグリンピース新宿本店は外装を変えて残っている。だが、今では昔の思い出がここにあったということに留めて、今はグリンピース新宿本店のそばを通ることはあっても、建物の中に入ることはない。