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ラーメン二郎と私

 私がラーメン二郎を初めて知ったのは、大学三年生になってから、つまり、日吉から三田に移ってからである。その当時、ラーメン二郎は国道の交差点の角地にあり、大学三年生になった当初、よく食べに行った。当時のラーメン二郎は、券売機なんてものはなく、親父さんが大か小か始めに聞いて、後で野菜・ニンニク・辛め・アブラなどトッピングを確認して、注文した二郎ラーメンを食べるというスタイルだった。

 私は大体、二郎の親父さんの奥さんの方に座り、小ダブル豚などと訳の分からない注文をして、ラーメンを食べていた。注文の仕方もきちんと出来ないお客だったので、食べ終わってからの勘定もよく分からず、言われるままに勘定を支払って店を出ていったのを私は覚えている。まあ親父さんや奥さんにしてみれば、あまり来てほしくないお客だっただろうというのは、想像に代えがたい。

 そうこうしているうちに、私は学校を卒業し、かなり長い間、ラーメン二郎とは無縁の生活を送った。その後、ラーメン二郎と関係が出来るのは、福井さん(以下仮名)と付き合いが始まってからである。付き合ってある程度時が流れた頃、福井さんと小松澤さんと私で、月に一回ラーメン二郎を食べに行こうということになり、一ヶ月に一回ラーメン二郎目黒店に食べに行った。この付き合いは約1年程続いたのだが、小松澤さんが亡くなって、この付き合いは無くなってしまった。

 その後、私は東京に住んでいたこともあり、ラーメン二郎はよく食べに行った。三田本店と目黒店の他に行った店は、仙川店・神田神保町店・小岩店・一之江店・歌舞伎町店・池袋店である。その他にもラーメン二郎店の店はあるのだが、行ったことのあるのは、今回述べた店だけである。

 ただ、今回のテーマで述べたかったのは、これから述べることである。実をいうと、私は当時就職に失敗をして、大学4年生を二度経験した。その時、ラーメン二郎には行かなかったのだが、その間ラーメン二郎は出入口を除いた真ん中の部分をいつもシャッターで閉じていた。三田本店が今のところに移転してから、何回かお店に行ったのだが、今の三田本店はカウンターと壁の間が極端に狭いところがある。もしシャッターを閉めて、お店をやっていたころの名残でこのような席が出来てしまったとしたら、と思うと、何か申し訳なく思ってしまう。なので、このことをお詫びしたいという気持ちで一杯なのである。なので、最近はラーメン二郎には行っていない。いずれにせよ親父さんには本当に心からお詫びしたい。