注目キーワード
  1. 清澄白河
  2. 近況報告
  3. 人生

北の湖親方に会いに行ってきました。

 北の湖親方に会いに行ってきました。

 北の湖敏満(本名は小畑敏満)は、1953年5月16日に北海道有珠郡に、小畑勇三とテル子の五男三女の四男として誕生。恵まれた体格と抜群の運動神経で、北に怪童ありと噂になり13歳で三保ケ関部屋に入門。「強くなるまで帰るな」との父の言葉に反骨精神を心に秘め、一心に相撲を取った。後に親の送り出す言葉に覚悟の重さと、愛情の深さを知った。四股名は故郷の洞爺湖に因んで三保ケ関親方が「北の湖」と命名。1967年1月両国中学一年生で初土俵、中学卒業時の15才9ヶ月で幕下昇進。17才11ヶ月で十両昇進。最年少記録を次々に樹立。18才7ヶ月で新入幕。20才で初優勝し大関昇進。わずか大関在位三場所、21才2ヶ月最年少で第55代横綱に推挙される。優勝24回、幕内50場所連続勝ち越し。横綱昇進から10年4ヶ月、現両国国技館こけら落とし二日目に引退を表明。一代年寄「北の湖」を襲名。土俵人生に幕を閉じた。東京都江東区清澄に部屋を創設。弟子の育成と日本相撲協会の運営に尽力。協会史上初めて二度理事長を務めた。在任中様々な課題解決に卓越した手腕を発揮し、殊には2014年悲願であった協会の公益財団法人への移行を実現させた。この間、北の湖の体は病に蝕まれていった。しかし決して病魔に屈することなく理事長の責務を全うした。思い返せば至福の時…現役理事長で還暦土俵入りを成し遂げた事。たわいもない事だが,弟子達とチャンコ鍋を囲んで酒を酌み交わした時間。「まだチャンコをしているの?」と思うほど長く笑いと大声が途絶えなかった。力士達はオヤジと慕い実の親子と変わらぬ絆で結ばれていた。大相撲のテレビ中継が開始された日に生を受け、2015年九州場所十三日目理事長在任中に他界。「土俵の充実」を掲げ、相撲道に一生を捧げた。(北の湖の石碑 北の湖敏満の一生から引用)

 上記の文言は、北の湖親方銅像のそばにある北の湖敏満の一生に記されていました。その北の湖の銅像は、川崎大師平間寺の中にあります。

 なぜ、北の湖の銅像とお墓が川崎大師平間寺にあるのか不明ですが、私の住んでいる清澄に相撲部屋を設け、弟子の育成にあたっていたということもあって、北の湖親方に会いに行ってきました。北の湖部屋は横綱大鵬が興した大嶽部屋の近くにあったこともあり、生存中は、大鵬と酒を酌み交わす仲であったという話も聞きます。ちなみに、現在北の湖部屋は山響部屋と名前を変え、江東区東砂に引っ越してしまいました。清澄に北の湖部屋の建物は残っているのですが、史跡となっています。

 北の湖親方と会ってきた後、川崎大師平間寺のそばにある蕎麦屋松月庵に寄ってみました。こちらの蕎麦屋は明治17年創業の由緒あるお店で、店内に入り天ぷらそばを注文しました。

 こちらが注文した天ぷらそばです。そば粉は北海道産を中心に国内の優良生産地からセレクトされたものです。松月庵は「二八(にはち)」と呼ばれる手打ちそばや、「かえし」に代表されるつゆ仕込みなど江戸伝統の技法が四代にわたり受け継がれています。

 今回は、江東区清澄から、北の湖親方に会いに川崎大師平間寺まで行ってきました。川崎大師平間寺は、弘法大師ゆかりの厄除けの神社としても有名ですが、北の湖親方の銅像があることを知っている人は、少ないと思います。川崎大師平間寺を訪れた際は、北の湖にお会いすることをおすすめします。大鵬もですが、北の湖も忘れてはならない昭和の大横綱です。