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人生の最期について

 話はかなり飛んでしまうが、今回は私が個人的にお世話になっていた遠藤和男さんの、人生の最期について述べたいと思う。 
 遠藤さんとはかなり昔、錦糸町クボタクリニックのデイケアで知り合った。遠藤さんは鬱病で薬を服用していたが、その時は少しらりっていた。その遠藤さんと私とは、かなり長い間、疎遠になっていたが、2~3年前、月一回夜、ラーメンを食べた後、ファミレスでお茶しようということで、付き合いが再開した。
 遠藤さんは警察官だったのだが、結婚を機に鬱病になってしまい、離婚し、退職してしまった。その後のことは、かなり端折ってしまうが、彼が月一回会おうと持ち掛けた時、彼は独身で、ぶーちゃんと呼んでいた女友達を自分の住まいに同居させ、食事などを作ってもらっていると私に話してくれた。月一回、遠藤さんと会うイベントの事をハッスルナイトと呼んでいて、私が遠藤さんを迎えに行ったとき、よく遠藤さんにまかないさん(ぶーちゃんのこと)はどうと尋ねた。遠藤さんは、宝くじが当たったらぶーちゃんに家をプレゼントしたいとよく私に話してくれた。
 月一回夜、ラーメンを食べた後、ファミレスで延々と雑談をするということだけだったが、ファミレスでは色々な話をした。遠藤さんと私が一緒にデイケアに参加していた時の事、社会の事、政治の事、異性の事など。今から思えば、それは楽しい時間だった。ただその頃、遠藤さん少しおかしいなと私は思った。それは、以前よく吸っていたタバコをやめていた。あと、少しの距離でも歩くのがしんどいと私に話していた。
 私の不安は残念な形で的中した。毎年、私と遠藤さんは夏に、遠藤さんが結婚相手にプロポーズをした千葉県の勝浦の鵜原に海水浴に行く約束をしていた。ところが、その夏が来る前、5月の連休明けに、墨田区にある同愛記念病院に入院しているから見舞いに来てくれという知らせを受けた。私は最初忙しいから先延ばしにしようかと思ったのだが、金曜日の仕事帰りに行くからと遠藤さんに告げて、見舞いに行った。
 見舞いに行くと、遠藤さんはマスクをしていて、歩くのが非常にしんどそうだった。遠藤さんは、ハッスルナイトが出来なかったことを私に詫びた。私は病院での入院生活は暇だろうからと思って、競馬面を除いた東スポを遠藤さんに渡して帰った。
 翌週の金曜日、私は再度病院に行った。ただ病院にいくと、看護師さんが遠藤さんはもうこの病院にはいませんと私に教えてくれた。その後、私は遠藤さんが住んでいたマンションに行ったのだが、時はもう遅かった。後で人づてに話を聞いたのだが、私が病院に行った週の水曜日の午後にぶーちゃんに看取られて亡くなったとのことだった。昔の錦糸町クボタクリニックのデイケアの頃からの付き合いがあったので、私は非常に悲しかった。まだ歳は60過ぎで早すぎる死だった。私に遠藤さんの死を教えてくれた方は私よりももっと付き合いが長かったので、もっと悲しかったと思う。
 余談になるが、亡くなる一年位前から、遠藤さんは私に、私や遠藤さんが写っている写真を私にくれた。熱海の梅園や府中の競馬場、勝浦の鵜原理想郷や江の島での写真。それらは今でも私の家にある。本当に大切な友達であると同時にお世話になった方だった。遠藤さん、本当にありがとう。