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高村部長のこと

  以前、私はミツカンの本社がある愛知県半田市に住んでいた時のことを述べた。そのことを書いた記事と重複してしまうが、再度、高村部長について、改めて述べようと思う。

 私はミツカンに入社してから、1年と7か月で、愛知県半田市に本社があるミツカンの総務部庶務課に配属となった。配属初日に、当時5階にあった総務部全体での挨拶を済ませた後、当時総務部長であった高村部長に総務部長室に来るよう指示を受けた。その時、高村部長からのお話は次の通りであった。

 ミツカンの新入社員研修後、君を流通部東京支店に置いていたが、上司から使い物にならないという話を聞いた。そこで、君を半年間、総務部において、次の配属先を決めたい。それまでの間、毎月一回、総務部長室で君との面談を行う。その間、総務部庶務課に君を置いておく。庶務課長の古川課長に話をしておくから、そこで仕事をするように。

 私は、最初の面談の後、当時総務部次長であった大北次長から、総務部長との面談の内容を、当時のワープロを使ってまとめて、提出するように言われた。そこで、話の内容をワープロを使ってまとめて、大北次長に提出した。そこから、高村部長との月1回の面談が始まった。

 翌月(11月)、総務部長室で2回目の面談があった。その時、総務部長は今までの判断を変えるには何をしたらいいかという話が出た。そこで、まず簿記の2級をとること、古川課長から与えられた課題をこなすことなどの話が出た。その話のついでに、会社で何をしたかったのかという話が出た。私の同期は営業をしていたので、私も営業をしたいという話をした。その時、高村部長は、過去3回辞表を書いて提出したが、全部はねられたという話を私にしてくれた。ただ、君が辞表を書いて提出したら、その場で受け取るという話も出た。あと、庶務課の阪口さんの話が出て、その時、高村部長はわざと阪口さんの名前を間違えて書いて話をした。そんな感じで、その月の面談は終了した。

 12月になり、高村部長と3回目の面談があった。そこでは、高村部長から庶務課に配属になってどうかということの話の他に、総務部の忘年会の幹事をやるよう指示を受けた。そ の他にも、先月と同じように私の辞表は1回で受け取るという話が出て、面談は終わった。

 総務部の忘年会の幹事は殆ど上手く出来なかったのだが、忘年会では高村部長にビールをつぐ機会があった。その時の写真は今でも自宅に残っている。

 年が明けて、1月になると高村部長から年賀状が届いた。住所は私が住んでいた独身寮あてであり、手書きだったがみやすい年賀状であった。また、1月には会社で表計算ソフトの講習を受け、本社の会議室の使用状況を表計算ソフトを使って作成した。

 1月にまた、総務部長室で面談があった。そこでは、私が表計算のソフトを使用して、会議室の資料を作成していたこともあって、あなたは伊能さんのようにはならないだろうと部長から言われた。

 2月もまた面談はあった。その時は先月と同じようなことを総務部長から言われた。

 3月になり、また、面談があった。ただ、その月の面談は今までと違うことを言われた。今まで、あなたは伊能さんのようにはならないだろうと言ってきたが、あなたは伊能さん以下だ。もうこれ以上、君を本社に置いておくわけにはいかない。君が辞表を出すと言えば、この場で辞表を受け取る。私は、辞表は出さない。また、もう少し本社に置いてくださいと嘆願した。だが、高村部長は君は会社に残っても不幸になるだけだから辞めた方がいいと私に話してくれた。再度、私は辞表を出さないと言うと、新しい配属先を探すからと言って、面談は終わった。

 3月の面談の内容について、私自身、思い出すふしはあった。11月に最上階にある社長室にある神棚に飾るミツカンの製品を揃える作業を行ったのだが、翌年になり、神棚のところまで行こうと思い、最上階にエレベーターを止めてしまったことが原因だと私は察した。だから3月の面談の内容は以上のようになったのだと思った。

 3月初めの面談の後、高村部長から話があった。新しい配属先は群馬県にある館林工場になったと言われた。また、そこでパートさん以下の仕事をしてもらうと言われた。また、いつものことだが、君の場合、会社に残っても不幸になるだけだ。辞めた方がいいという話が出た。あと、親から早く自立するようにという話も出た。

 その後、館林工場だと車が必要だからということで、館林への出張を許可してくれた。あと、異動までの間、本社の5階にいていいと私に言った。当時、総務部は最後に食堂で昼食をとることになっていたが、総務部長から私の表情が暗かったと言われた。多分、その時の気持ちが表情に出たのだと思う。

 そして、5月に館林工場で工場長などが集まった幹部会があったのだが、そこで高村部長を見かけたのが最期となった。それ以来、私は高村部長とお会いできる機会はなかった。ミツカンの本社に配属になってから、半年間、高村部長は私との面談をしてくださった。このような上司は、前にも後にも、私の人生で出会うことはなかった。今でもこの半年間は忘れることが出来ない。高村部長は、君の場合、会社を辞めた方がいいということ、親から早く自立するようにと私に話した。今でも、この部長さんには感謝している。もうお会いする機会はないが、心から感謝申し上げます。