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地理風俗研究同好会のこと

 中学受験で早稲田中学への入学が決まった私は、中学一年生の時に運動部や文化部などのオリエンテーションに参加し、地理風俗研究同好会への入部を決めた。理由はクラブの活動が週2日で、拘束が比較的緩やかでよさそうだったのと、私自身、運動が苦手でテニス部や卓球部は無理だというのがあったからであった。

 当時の地理風俗研究会の活動というのは、毎年秋に行われる興風祭に出展するテーマを決め、一年かけて、そのテーマについてみんなで研究し、興風祭の時に発表するというのであった。その他には、オリエンテーリングを年に一回程度行ったり、期末試験が終わった後、野球や高田馬場のBIG BOXでボーリングをするというのであった。

 私が入部した時の、高校2年生の部長は大の阪神ファンで球団の選手の名前をよく知っていた。また、ピグモンというあだ名がついた先輩がいて、地下鉄の早稲田駅から高田馬場駅までキセルをしようとした時、注意して電車賃を代わりに払ってくれた。

 私が入部した年のテーマは、荒川についてであった。詳しいことは忘れてしまったが、週2日の活動の中で、テーマについて調べ、文章を書いたり、地形図を作成するのに、当時大隈商店街にあった地図を売っている店に地形図を作成できるサイズの地図を購入しにいった。その他には、授業が終わった後の活動日に、猫屋に行ってミリンダやペプシコーラを買って飲んだり、休みの日に、荒川の土手にある河川敷の野球が出来るスペースを借りて、草野球をしていた。運動部は普段運動をしているので、そのような活動をしていたがどうかは不明だったが、文化部は普段運動をしていなかったので、休みの日に荒川の河川敷で、よく草野球をした。当時は、歴史研究部や鉄道部が強かったように記憶している。

 私が、この同好会で強く記憶に残っていることが2つある。一つは、中学一年生だと、部活の一環である合宿に参加できなかったのだが、当時の部長の計らいで、秩父に一泊二日で行ったことである。もう一つは中学二年生になり不良と付き合って、部活を辞めようとした時、この同好会の活動が出来ないようなら、どこにいっても通用しないと厳しく注意を受けたことである。結局、私は学校の近くにあったゲーセンや雀荘に出入りするようになって、地理風俗研究同好会を退部してしまったのだが、このことは私の人生において大きな過ちだったと今でも後悔している。当時の同級生や先輩方、OBには今でも申し訳なく思っている。仮に、地理風俗研究同好会を高校生の時まで続けていたら、私の人生は今よりもっと好転していたかもしれないと思うことがある。中学・高校生時代に毎日のように部活に打ち込むのもどうかと思うが、週2日の部活は大切にするべきだったと今でも思っている。