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私はどのようにして慶應義塾大学経済学部の入学試験に合格することができたのか。

 もうかなり昔のはなしになるのだが、私は私立早稲田高等学校から、慶應義塾大学経済学部の入学試験に合格して、慶應義塾大学に進学した。私の高校生の時の成績は、高1の時学年で350人中270位くらい、高2の時170位くらいで、決して成績は良くなかった。学内において、早稲田大学への推薦枠に入るには、はるかに及ばず、高3の時受けた河合塾の模試の偏差値は60.0~62.5の間を行ったり来たりという感じであった。慶應義塾大学経済学部の合格ボーダーラインは67.5。もうはるかに及ばなかったのだ。しかも、高3の時に受けた駿台の慶應義塾大学経済学部の模擬試験の順位は、実際の入学試験の時の順位よりも下であった。しかも大学入学試験を計6つ受けて、合格したのは慶應義塾大学経済学部だけ。こんな私がどのようにして、慶應義塾大学に入学出来たのか。ただ運が良かっただけ。確かにその通りかもしれない。だが、私は慶應義塾大学経済学部の入学試験突破に向けて、緻密な作戦を立て、計画を実行してきたのだ。では、私はどのようにして慶應義塾大学経済学部の入学試験に合格して、慶應義塾大学の学生となることが出来たのか。もう30年くらい前の話だが、その当時のことを振り返ってみたいと思う。

 私は、私立早稲田中学校から早稲田高等学校に進学し、高1の時に登校拒否をおこした。高2への進級が危ぶまれたが、判定会議に引っかかることなく進級し、高3になった時、私立文系数学クラスを選択した。当時の早稲田高等学校は、早稲田大学への推薦枠が一定数確保されていたが、推薦で早稲田大学へ進学する学生も受験勉強をしなければならず、私はたまたま文系数学が出来たので、高3に進学するとき、私立文系数学クラスを選択したのである。

 当時の私の学校での成績、遅刻、欠席の数からして、早稲田大学の推薦をとるのは、全くといっていいほど無理であった。高校のとき、英語と文系数学しかできなかったので、関西の関関同立も考えたのだが、父親が許可するとは到底思えず、私は、一橋大学社会学部を第一志望として、受験勉強を開始した。確かに化学はダメだったが、物理は比較的出来がよく、英・数・国・社のほかに、独学で物理を勉強すれば、受かるのではないかと思い、高3になってから、受験勉強を開始した。だが、独学での物理の勉強は難しく、しかも、社会科で選択した日本史の勉強の仕方を、根本的に間違えていたため、高3の夏の段階で、早々と一橋大学社会学部の受験は断念してしまった。

 そんなとき、クラスの担任の先生が、夏休みに受験予定の学校の過去問は必ず解いておくようにというアドバイスをしてくださった。その担任の先生は、現役で受かるという強い意志を持って勉強しないと、浪人しても志望大学には受からないという話をしていたので、夏まではまじめに英語と数学の勉強をしていた。国語は、古文を中心に勉強していて、その他の科目は、もう滅茶苦茶だった。

 高3の夏休みに、私は、早稲田大学政経学部、早稲田大学商学部、慶應義塾大学経済学部、明治大学商学部(結局、受験せず)の過去問を解いた。早稲田大学政経学部と早稲田大学商学部の過去問は難しくて歯が立たなかったが、慶應義塾大学経済学部と明治大学商学部の過去問は手応えがあった。今の慶應義塾大学経済学部の入学試験は、難易度が高くなっているが、当時の慶應義塾大学経済学部の入学試験は、オーソドックスな問題が多く、まともに高校生の時に、勉強していれば、難なく解ける良問がでていた。私は、高3の夏休みに慶應義塾大学経済学部の過去問を解いて、ひょっとしたら合格できる可能性があるかもしれないと判断した。そこで、高3の夏休みに、第一志望を一橋大学社会学部から慶應義塾大学経済学部に変え、受験勉強を続けた。

 まず、英語だが、当時の過去問には、毎年といっていいほど、英語の構文に関する問題がでていた。そこで、当時、駿台からでていた英語構文詳解という問題集を購入し1冊こなした。また、秋以降は新しい問題集に手をつけずに、過去問と模試と今まで使用していた問題集を、間違ったところを中心にただひたすらおさらいした。数学は、当時の代々木ゼミナールから、文系数学の問題集がでていたので、その問題集を1冊こなし、あとは、英語と同様、ひたすらおさらいをした。小論文は、第二次世界大戦後の日本について、知識を徹底的にインプットし、段落を4つに分けて、文章を書く練習をした。

 そうこうしているうちに、1月になり学校の授業は終わってしまった。当時、任天堂のゲームで、ドラゴンクエスト3が流行っていて、わたしの兄がよく遊んでいた。本当は、この時期、最後のラストスパートをかけなければいけない時なのに、わたしもつられて、ドラゴンクエスト3に夢中になってしまい、ラストスパートをかけることが出来なかった。

 私は、現役で慶應義塾大学経済学部に進学したのだが、受験したのは以下の通りである。早稲田大学政経学部、早稲田大学商学部、慶應義塾大学経済学部、上智大学経済学部経済学科、立教大学社会学部、成城大学経済学部。以上、6つである。結果から先に述べると、合格したのは、慶應義塾大学経済学部だけで、滑り止めで受けた成城大学経済学部も落ちてしまった。

 慶應義塾大学経済学部の入学試験が2月中旬に行われ、私は、日吉のキャンパスで試験に臨んだ。英語の試験は普通に終え、数学の時間となった。その1で解けない問題があり、飛ばしていたのだが、残り5分となり、このままでは合格出来ないというあせりが生じた。だが、やっとの思いで、解答欄を全部埋めることが出来、最後、小論文を残すだけとなった。小論文の試験が始まったのだが、試験問題を見て、驚いてしまった。今までの流れである戦後史に関するテーマではなく、環境問題に関するテーマだったのだ。私は、びっくりしたが、とりあえず段落を4つつくり、書く内容を決め、答案用紙を全部埋めることに専念した。試験終了後、小論文の答案用紙が回収されたのだが、全部書けていない答案用紙がかなり散見された。

 全部の試験が終わった後、慶應義塾大学経済学部の入学試験の合格発表があった。私は、補欠のDランクであった。他に、受かっているところがなかったので、当時の代ゼミの浪人コースへの入学手続きをしておいたのだが、東京大学の合格発表の後、大学側から入学の許可がおりた。その年、慶應義塾大学経済学部の補欠で入学を許可されたのは、Fランクまでだったので、あと3点足りなかったら、慶應義塾大学に進学は出来なかった。

 以上、私はどのようにして慶應義塾大学経済学部の入学試験に合格することが出来たのかについて述べてきた。周囲からすると、ただ運が良かっただけと思われるかもしれないが、運をつかむには、ある程度の努力と実力が必要である。よく人生で成功するにはとか、就職で内定をとるにはといったことを、YouTubeのテーマで見かけるが、私のこの体験は、如実にこれらのことについて物語っていると思う。故松下幸之助が、就職試験の最終面接で、あなたは運が強いかどうか聞いたという。そこで、運が強いと答えた人物を採用したという。人生において、成功するには、運があるかどうかということや、愛嬌が必要となってくる。運をつかむためには、ある程度の努力も必要だが、努力だけではどうにもならないこともある。今回、私が述べてきたことを、人生において活かすことが出来れば、ありがたいと思う限りである。