注目キーワード
  1. 清澄白河
  2. 近況報告
  3. 人生

リクルートの天才塾は受講して正解だったが、電通のクリエーティブ塾の受講は失敗だった。

 私は、大学3年生の時に、リクルートが行っていた天才塾の講義と電通のクリエーティブ塾の講座を受講していた。リクルートの方は、久保田達也氏と中谷彰宏氏が講師となって、電通のクリエーティブ塾は複数のクリエーターが講師となって、講義をしてくださった。両方とも私が大学3年次の時に講義は終了したのだが、結論から述べると、リクルートも電通も両方の講義を受けたことは失敗だった。だが、その後、現在になって、リクルートの天才塾は受講して良かったと思うようになり、電通のクリエーティブ塾は受講して失敗だったと思うようになった。

 大学三年生の時に、天才塾の講義は、久保田達也氏(ゲストとして、波頭亮氏の話を聞けた。)、マッド・天野氏、、中谷彰宏氏の3講座の講義があった。私は久保田達也氏の講義を途中から受け、その後、中谷彰宏氏の講義を受講したのだが、中谷氏とリクルートのスタッフの計らいにより、中谷彰宏氏の講義は中止となった。私はその当時の中谷氏とリクルートの方の判断に大変感謝している。

 電通のクリエーティブ塾の方は、受講当時から精神の病気の症状が出始め、テレビCMの課題を提出するのに、幾度となくミスを出してしまった。結局、それで、講座は終了したのだが、講座終了後、リクルートの方は特に大きな問題は聞かなかったのに対して、電通の方は嫌な話を聞くようになった。

 まず、電通クリエーティブの講座終了後、クリエーターの責任者が関連会社に飛ばされたという話を聞いた。その後、中途入社で電通のコピーライターだった人が夏に自殺したという話も聞いた。90年代から成田豊氏が社長の時代まで、電通は会社の規模を拡大させていったのだが、現在、東京エリアでは、電通クリエーティブ塾は行われていない。

 私の悪い評判が流れ、社会的に嫌われるようになったのは、電通が汐留に引っ越し、となりに、コンラッド東京が出来てからである。それ以降、私の自宅での私生活に関して、わがままだとか何もしていないなどの風評が流れ、私の立場はなくなっていく。さらに、輪をかけて、電通のクリエーターが所属する部署において、かなり私の評判はよくないという噂も聞いた。

 また、次から次へと私の下半身の管理がなっていないという噂も流れ、現時点において、電通がダメになったのは、私の話を聞いて、朱に交われば赤くなるというようなことが起こったのではないかという事も、噂で聞いた。私は、電通が汐留に移転した後、電通のクリエーティブ局に直接電話をして、電通クリエーティブ塾の卒業生リストから外してくれという話をした。

 一方で、リクルートの方は特に大きな話は聞かなかった。リクルートの天才塾のメンバーとは今はもう接点がないので、良い話も悪い話も聞かなかったが、私は、吉田浩さんという人には大変感謝をしている。理由としては、その人は天才工場という組織を作り出版業務を仕事として始めたからである。リクルートには、起業家精神とか起業しなければならないというDNAがあるが、同じメンバーだった吉田氏が起業してくれたおかげで、私の事は大きな問題には至らなかったからである。

 結局、学生当時は電通もリクルートも講座を受けて、私自身、失敗に終わった。ただ、電通とリクルートで大きく違いが出たのは、電通は私と縁を切らなかったのに対して、リクルートは完全に私と縁を切ったことである。一時期、私自身、電通に感謝したこともあったが、結論から述べると、縁を切ったリクルートに軍配が上がったと言っても過言ではないと思うようになった。大学3年の時に、私自身、電通クリエーティブ塾に通ったお陰で、今の電通・コンラッド東京のある汐留は無茶苦茶になってしまい、電通においても、私に対しては嫌悪感と憎悪が入り混じってしまったと言っても過言ではない状態になったと思う。リクルートは私と縁を切ったことは正解だったと私は思う。

 現在、私は汐留には殆ど行かないようにしている。

※(この記事は、2021年6月25日に作成したものです。)