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後藤伸君のこと

 私が学校を卒業して、2番目の会社を辞めた後、かかりつけの精神科の主治医からクリニックに併設されている大規模デイケアに参加するように言われた。そこで、クリニックに併設されているデイケアを見学し、デイケアの参加をする手続きをした。

 デイケアの名前はこもれびといい、当時のスタッフの水野さん(以下仮名)が最初にインテークをしてくださって、正式にデイケア参加となった。

 私がこもれびに参加した頃、デイケアの参加人数は一日で20人くらいであった。私がデイケアに行くと、いつも司会は海老原さんがやっていた。その他にも、いつもデイケアが終了する頃に来ていた社長と呼ばれていた佐々木さん、卓球と将棋が上手い高岡さん、クリニックの本院のデイケアから移ってきた阿部さん、その他、増田さん、松下さん、加藤さん、女性では速水さんや冨田さん、岡さんなどが参加していた。そして、こもれびのデイケアが終了するとデイケアの主要なメンバーはクリニックの近くにある大貫さんの家に集まっていた。

 私はこもれびが出来た当時からのメンバーではなかったので、デイケアで馴染むのに、いや、友達を作るのにはかなり苦労した。そうして、月日が経過していく途中で、私と同じ頃、こもれびのメンバーとなった後藤さんと知り合い仲良くなった。後藤さんと仲良くなった後、私はよく後藤さんの家に行き、ストリートファイターというゲームを後藤さんがやるのを、よく見ていた。

 後藤さんの父親は医師であったが、後藤さんは高校卒業で、大学にはいっていなかった。こもれびのデイケアで一日外出の時、後藤さんはふと私に、自分も大学に進学したかったと私に話してくれた。その時、私は少し胸が痛んだ。

 私が後藤さんと仲良しになったあと、よく彼の家に遊びに行ったが、一番印象に残っているのは、錦糸町駅の北口にあるステーキ屋にステーキを食べに行こうという話がでて、一緒に食べに行ったことである。店の名前は忘れてしまったが、2人でそのステーキ屋に行ったのは覚えている。

 こもれびに何とか馴染むようになってから、後藤さんとの付き合いは続いたが、ある日、後藤さんは作業所に行くといって、こもれびを辞めてしまった。その時、私も後藤さんと一緒の作業所に移ろうとしたのだが、定員オーバーになるため後藤さんと同じ作業所にはいけず、こもれびに残ることになった。

 その後、こもれびにはいろいろなメンバーさんが入ってきたが、こもれびで一番最初に出来た友達というのは、後藤さんである。今、彼がどうしているかは分からないが、何とかやっていると思う。彼のことをたまに思いだすことがあるが、私も何とかやっていこうと思っている。