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舛添要一先生のこと(再掲)

 私は大学三年生の時、半年間だけだが舛添要一先生にお世話になった。学校でアルバイトの求人を見つけ、面接に行ったら、週1回火曜日だけアルバイトとして来ていいとの事で、先生のところでアルバイトをすることになった。

 舛添先生の自宅は世田谷区にあり、事務所が出来るまでの間は、舛添先生の家でアルバイトをした。仕事の内容は新聞のスクラップ等であった。初めて先生の自宅に行った時、先生は不機嫌な表情をして何か呟いていたが、火曜日だけ先生にお世話になることになった。何故、舛添さんのことを先生と呼ぶようになったかというと、事務所の女社長さんが、舛添さんのことを先生と呼ぶようにと私に教えてくれたからである。私がアルバイトを始めた頃、先生は当時の宮沢喜一総理大臣の演説の原稿を書くんだと言って、仕事に励んでいた。また、余談だが先生は、その頃から髪の毛が薄かった。

 新聞のスクラップを、私は他のアルバイト仲間と行っていたが、私は複数の新聞の同じ記事を切り抜いていることが多かった。そこで、事務所のスタッフからよく注意を受けていたのだが、一向に直らず、今でもそのことに関しては先生に謝りたいと思っている。

 私がアルバイトをしていた頃、先生は笑っていいともに出演したり、今のめざましテレビの前に放送していた番組に出演していた。なので、私がアルバイトで先生の自宅に行った時はよく昼寝をしていた。ほかにもアルバイトの学生がいたので、先生と直接お話は殆どしなかったが、先生の自宅の本棚を整理するように言われ、整理したのを覚えている。あと、新宿駅の西口にあったお店で夕食をごちそうになった事があり、非常に感謝した。

 私がアルバイトを始め、夏休みが終わった後、自宅のそばに事務所が出来た。舛添先生は、自宅の外では、気が強く、自分の考えを恐れることもなくズバズバ言っていたが、自宅では物凄く繊細な人であった。細かな事でもかなり気にしていたし、当時はよく絵を飾っていて、スタッフもどうしていいかわからないという感じであった。あと、先生は本を出版すると、必ずアルバイトの学生に本をくれた。今でも先生から頂いた本は自宅にある。

 アルバイトを始めて、半年たった頃、私は勝手に格安航空券を手にし、南の島に旅行に行ってしまい、その後無断欠勤を続けてしまった。それで、1月に事務所のスタッフに呼ばれクビになった。今から思うともったいないことであった。

 舛添先生にお世話になっていた時、先生の大学時代の写真を見せてもらう機会があった。髪はふさふさしていて、スマートであり、お世話になっていた時の風貌とはまるっきり違っていた。今まで、舛添先生にはかなり迷惑をかけてしまったが、先生には大変感謝している。舛添先生に何らかの形で恩返しを出来ればしたい。もう第一線から退いてしまわれたが、舛添先生に少しでも恩返し出来るよう私自身、日々努力したいと思っている。